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今回の内容
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協同学習がつくるアクティブ・ラーニング / 杉江修治 【本】
一斉講義は否定すべきものではないと、筆者は言っています。
しかし、一斉講義にも問題点が多くある、とも言っています。
ここでは、その様々な問題点をこれでもかと挙げてきます。
・ごく一般的な授業ではどうなのか
・前時の復習から始まる授業
・授業の中での発問
・わかっているふりをすることが授業ではない
・わかっている子が退屈な授業
ごく一般的な授業ではどうなのか
ごく一般的な授業ではどうなのか
子どもたちの理解の様子を観察し、ときに発問をして理解の程度を確認します。
また、発問をして考えさせ、考えを発表させて学級での共有化を図ります。
一般的な授業の進み方のように見えますよね。
しかし筆者は次のように言います。
「それでも、教師主導のこの進め方で、本当に意図通りの学習活動ができているのでしょうか。」
いったいどこに問題点があるのでしょうか。
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前時の復習から始まる授業
前時の復習から始まる授業
前時の復習から入る講義が多いようです。
何を学んだかの発問の多くは、用語を答えさせるものです。
「寛政の改革は誰がやったか言える人」
こういったたぐいの発問です。
この問題点は何でしょうか。筆者は次のように言います。
「こういう確認では、前時は用語を覚えることが目標だと子どもに思わせてしまいかねません。」
授業の中での発問
授業の中での発問
授業の中での発問では、しばしば間髪を入れずに挙手をした子どもが指名されます。
筆者は言います。
「発問の意図を考える暇もない学習の遅い子供もいるでしょう。」
「せっかくの回答も発問自体を理解しないままでは、(学習の遅い子は)何を問われたのかわかりません。」
そういった子どもは、ただお付き合いをさせられているだけです。」
ということは、子どもたちの素早い反応がみられる授業というのは、よいというわけではないということのようです。
「教師との問答を他の子どもがきちんと聞いているとは限りません。」
そのようなときは「仕かけ(plan)」が必要なのだそうです。
どんな「仕かけ(plan)」なのか?
それは、
「自分はよくわからないので、ぜひわかっている子の解答を聞きたいという気持ちを、その子たちに持たせる仕かけ」なのだそうです。
その仕かけがない限りは、学習の遅い子供はきちんと聞いていないのだそうです。
わかっているふりをすることが授業ではない
わかっているふりをすることが授業ではない
つまり、学びたいという気持ちを持たせる仕かけが大切だということですね。
しかし、「学びたいという気持ちをしっかり持たせても、講義の内容に十分な工夫がなければ、理解の遅い子供は次々に脱落していく」と筆者は言います。
「わかっているふりをすることが授業だということを学ばせるような授業はしたくないですね。」
またまた厳しい筆者の意見ですね。
ではどんな工夫なのか、ということはここには書いていません。後の章に書かれているいろいろな仕かけを学んでほしいということなのでしょう。
わかっている子が退屈な授業
わかっている子が退屈な授業
一斉講義は、理解の早い子供が退屈する時間がとても多いと筆者は言っています。
そのような子供は、「セレモニー」に対する感受性も強いのだそうです。
そうなってしまうと、教師の講義から学ぶという学習態度を持たなくなる可能性もあるのだそうです。
気を付けたいですね。
まとめ
一斉授業の問題点がたくさん挙げられました。
この後出てくるアクティブ・ラーニングで、この問題点をどのように解決していくのか楽しみです。
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