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今回の内容
この本を読んでいます。なかなか面白いです。
協同学習がつくるアクティブ・ラーニング / 杉江修治 【本】
あなたは、自分がいつも行っている授業に対して「これでいいのか?」と感じたことはありませんか?
この章では、よくありがちな授業のパターンに対して、筆者から、これでいいのか?という疑問が投げかけられます。
筆者は、アクティブな学びを妨げる指導に対して、かなり厳しい意見を述べています。
今回の内容
・授業のセレモニーとは
・発問に対して大多数の子供たちが挙手をするのはアクティブか?
授業のセレモニーとは
一人に音読させる活動は必要か
新しい単元に入ったとき、一人を指名して教科書を音読させる風景はよくあります。
あの活動は必要ですか?
音読している子どもにとっては、
→声を出してはいても、中身を読みとれているのでしょうか。
他の子どもにとっては、
→内容を読みとっているのでしょうか。
筆者は、「教師の指示に従って、指示通りのポーズをとっているだけのように見えます。」と言います。「一人の音読で、何かを学ぶ子どもも一部に入るのでしょうが、費やした時間に見合った学習がなされているとは考えられない。」とも言っています。
教師があらかじめ言うべきだったこと
新しい単元に入ったときに、教科書を読むこと自体は必要なことが多い、と筆者は言います。
しかし、問題点があります。
それは、子どもたちに何のための活動か、という説明もなく読ませているということなのだそうです。
ここで教師があらかじめ言うべきだったことがあります。
「新しい単元に入ります。教科書の○ページには、これから学ぶことの概要が書かれています。大事だと思うところに線を引きながら黙読しなさい。」
このような課題を与えれば、子どもたちの頭の中はアクティブになります。
あなたはこういう課題を与えて教科書を読ませているでしょうか?
誰かが音読して、それを漫然と聞くという活動は、教師も子供も暗黙のうちに認めてしまっているセレモニーの1つである、と筆者は言います。
このようなことは、子どもに「学習するということはそんな程度のものなのだ」ということを教えていることになる、とも筆者は言います。
子どもたちにとってそうであるならば、知らず知らずのうちに大変なことを子どもに植え付けていることになりますね。
授業のセレモニーがないか点検してみよう
筆者は、一人の子どもに音読させるというような活動、つまり子どもの学びにつながらない儀式を「授業のセレモニー」と呼んでいます。
子どもたちには、授業の大事な一瞬一瞬を有意義に使わなければならないということを、学習活動の中で伝えていかなければなりません。
あなたの授業では、「授業のセレモニー」つまり子どもの学びにつながらない儀式は多くありませんか?
ぜひ点検してみましょう。
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発問に対して大多数の子供たちが挙手をするのはアクティブか?
学び合い?
教師の発問に対して、クラスの大多数の子どもたちが挙手をする。いかにも活発な学びの風景に見えます。
しかし、これをアクティブ・ラーニングと言えるでしょうか。
「学び合い」というテーマの授業で、教師が次々に発問し、子どもに即答させていく実践があったそうです。
筆者は言います。「大勢の子どもが発言を重ねていくのですが、そこで「学び」はどれほどなされていたでしょう。「学び合い」の後半の「合い」などみじんも感じられません。」
なかなか厳しいですね。
前に書いた「音読」のところでは、子どもたちの頭の中がアクティブになるような活動のことが書かれていました。それから考えれば、子どもたちが次々と答えていくのは、頭の中がかなりアクティブになっていると私は思うんですが・・・。
でも、そうではなかったのですね。
さらに厳しい意見が。
「教師と子どもという結びつきだけで子どもを動かしている姿からは、鵜飼いの鵜匠を連想してしまいました。」
いや~これは本当に厳しい。その理由が次のように書かれてあります。
「そこで子どもを動かしている意欲は、教師に認められたいという外の評価を求めるところにあるように思います。目立ちたい、他の子に勝ちたいというような自己中心的なモチベーションが背景にあることもあるでしょう。学びそのものをめざしておらず、見かけのアクティブと言えるでしょう。」
「見かけのアクティブ」・・・そうですか。活発に活動しているからと言って、それがアクティブだとは言えないのですね。
さらに、教師の発問に対しても次のように書かれています。
「そもそも、教師の発問と同時にクラスの大多数が挙手できる発問にどんな価値があるのでしょう。思考を要しない、浅い内容を問いかけているに違いありません。」
「教師に合わせて、深く考えもしないで単純な回答をするという活動は、「学びとは何か」を学ばせない教育につながってしまいます。」
いや~これも厳しい。私は、発問をするときは、いきなり難易度の高い質問ではなくステップを踏んで発問するようにしていますが、「その発問にどんな価値があるのか」といわれると・・・
誰も手を上げない発問というのもどうかと思いますが・・・
難しいですね。怒られそうなので次に進みます。
子どもの真剣な学びの形とは?
次に書いてありました。
「じっくり考えた末に、1人、2人、3人・・・と、手を挙げ始めていくという姿が子どもの真剣な学びの形と言えるように思います。「なぜ?」という問いかけを含む発問が欲しいと思います。また、「なぜ?」に答えられるだけの情報の仕込み(preparation)を事前にしっかりしてほしいと思うのです。」
最後の文にありますね。「情報の仕込みを事前にしっかりしておく」これが大切なのだということでしょう。価値のある発問の前に、「なぜ?」に答えられるくらいの仕込みをしておく。「価値のある発問」にすべてを懸けるという感じですね。
大人受けする読ませ方でよいのか?
次のところも面白いです。
「全員立ち上がって、声を合わせて新しい教材を読み上げるという姿を時折見ることがあります。」
これって『群読』のことでしょうか?これについてもかなり厳しい筆者の意見です。
「大きな声が出ている、声が合っている、といったことがいいことなのでしょうか。朗読というねらいがあるならばともかく、読みとりをさせるならば、各自のペースで読ませる方がいいのではないでしょうか。大人受けする読ませ方が子どもの学びにつながらない例のように感じます。」
群読コンクール(松山市)というものもあるのですが、「ことばのちから」という感性と「内容の読み取り」という学びの、目指すところの違いということで私は理解しておきます。
筆者は最後に『「何が書いてあるか、読み取りながら読みなさい」といった趣旨の教師の指示に出会うとほっとします』と述べています。
群読を見てどのように感じたのかわかりますね。
まとめ
まとめ
授業に対して厳しい内容が書かれてありました。
・自分の授業に「セレモニー」はないか点検する。
・価値のある発問ができるように考え抜く。
よく反省したいと思います。
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